形成 14。

今回はstudio skyrocketが形成されるまでのお話です~。

 

前回の話はこちら

 

そして学生生活に戻り再び学び始めた。

『もしキクチ眼鏡専門学校で最も印象に残った授業は?』という問いがあるとしたら

 

『視科学』という、『眼』が『物』を見る仕組みを教えてくれる授業があり、

アービン津本先生という日系アメリカ人の先生が教えてくれた。

 

津本先生は分かりやすい技術、理論で『眼の世界』引き込んでくれた。

 

先生は数多くの事を教えてくれたが、

それでも入学して1回目の授業の冒頭での言葉が一番心に残っている。

 

「君達はこれから様々な技術を身につけていきます。

検眼をしてメガネの度数を測定出来るようになるでしょう。

そこに自信を持つかもかしれません。

ですが他者が検眼した度数を非難する事はしてはいけません。」

 

 

という言葉だった。卒業して16年経つが今でも金口として残っている。

 

 

そして『メガネの知識』、『眼の知識』は僕の中で増幅されていった。

今では殆ど見返さなくなってしまった資料やノートの1部だが、僕の中で大切な宝物だ。

 

つづく。

 

 

2020年6月15日 11:37 PM  |  カテゴリー:studioskyrocketが形成されるまで

今回はstudio skyrocketが形成されるまでの話です~。

 

前回の話はこちら。

 

はじめは馴れず厳しいが学費の為だと思っていた高原バイトだったが、順応し始めた。

 

1つの山を裸にしろと言われた草刈りミッションだが

元々独りで黙々と作業する事が好きな僕には向いてのかもしれない。

 

最初は刈った草をトラックの荷台の半分も運べず「絶対に夏休みの間に終わらんぞっ!」と思っていたが

次第にコツを掴み始め、荷台に運べる量も次第に増え始め、夏の終わりまでに山を全裸にする事が目標になっていた。

 

 

そして『動物』のしもべだと思っていた事も、毎朝餌を与えたり掃除をしていたら

ある朝、厩舎に入っていくと僕にそばに来てスリスリしてくるポニーがいた。

 

そこから話しかけるようになり『しもべ』から『友人』になった。

 

 

また寮は電球しか点灯しなかったが、本棚があった。

歴代のバイトさん達が『本』を残してくれていた。

 

仕事の後ベットに寝ころがってその本達を読み始めた。

この自分の時間が貴重だと思った。

 

与えられた休日でも携帯を使って必要以上に誰かと連絡する事はなく

松本市まで出かけて本を買ってきて寮で読んだ。

 

 

そして一か月も過ぎた頃には髭も髪もボサボサな男になって山に適応した。

 

これは今でも忘れられない体験なのだが、

仕事終わりの夜に自転車を借りて長い距離のあるコンビニまで買い出しにいった。

 

帰り道にキャンプ場までは街灯はなく暗闇の世界だった事に気付く。

ふと眼前を見たら山々の稜線から上には星があった。

 

「あっ!」と思い自転車のライトを消して頭上を見上げたら、満天の星空があった。

あまりの凄さに「ヒョーっ!! ヒョーっ!!!」と叫びながら立ち漕ぎしながらキャンプ場まで帰った事はいい思い出だ。

 

後で知った事だが野辺山高原には国立の天文台もある位なのでとても美しい夏空が見れる。

 

なので帰る事を拒みたい気持ちの中だったが8月の終わりにオーナーからバイトの終わりを告げられた。

目標だった山もすべて全て刈り終えた。

 

「あぁ そうだ。 メガネの勉強をするんだ。」と思った。

2020年2月3日 11:37 PM  |  カテゴリー:studioskyrocketが形成されるまで

今日はstudio skyrocketが形成されるまでのお話です。

 

前回のお話はこちら。

 

眼鏡学校に通う上で1つ困った事があった。

 

それは『学費』だ。

母上からは「大学まで出したのだから、それ以上学びたいのであれば自分で何とかしろ。」と言われていた。

 

1年目の学費は大学4回生の1年をかけてバイトして貯めた。

2年目の学費が問題だった。

 

なので眼鏡学校の夏休みを利用して長野県の野辺山高原にあるキャンプ場で住込みのバイトをして貯める事にした。

 

最初は入道雲を眺めて、木漏れ日を感じながら高原の涼しい夏をエンジョイしながら

お金を貯めるという淡い期待を持って長野県へ向かった。

 

だが現実はそんなに甘くなかった。

 

まず与えられたミッションはキャンプ場の山に生えている草刈りだ。

オーナーからこの夏の間に1つの山を裸にしろと言われた。

 

1日中『草』と対峙する生活になった。

 

もう一つは朝はキャンプ場にいるポニーと馬の日課である散歩と餌やり、糞の処理を課せられた。

 

朝は『動物』のしもべになった。

 

また住込みで提供された寮には携帯電話の電波が届いてなかった。

誰とも連絡は取れなくなった。

 

テレビは無く、水道、ガスも供給されておらず、電気だけは通っており電球だけは点灯した。

 

コンビニも歩いて行ったら1時間はかかった。

娯楽はなく完全に世俗と隔離されたと思った。

 

 

1週間後に母上と電話が通じた。

現状を話したら同情してくれるかもかと思ったが

「お前 途中で帰ってきたらコロスよ。」と言われた。

 

働くしかなかった。

中でも救いだった事はオーナーの娘さんが

えらく美人で、仕事始めと終わりに見れば癒されてた事だったと思う。

 

つづく。

 

 

 

 

 

2020年1月30日 11:50 PM  |  カテゴリー:studioskyrocketが形成されるまで