にほん昔話『ウサギとカメ』。

小中学校の同級生がSNS上で突然連絡をくれた。

同級生とは中学卒業以来なので20数年ぶりにやり取りをした。

 

同級生は学業優秀で何をしても成績がよかった。

中でも美術の授業で、動物の『リス』を躍動感のある毛まで彫り上げてるのを、

目の当たりにした瞬間「おぉっ!! たまげたっ!!」と鼻血が出そうになったのを覚えている。

 

神さまから非凡な才能を与えられた人はいる。

これを初めて小学生の僕は認識したかもしれない。

 

だが才能も大切かもしれないが、最近『続ける』事の重要性を思う。

才能が無くても、続けていく事の重要性。

 

にほん昔話の『うさぎとカメ』の話を連想する。

 

この物語は、うさぎとカメが山の頂上を目指して競争をして

圧倒的に足が速かったうさぎが「カメとの勝負なんぞ余裕。」となって途中で寝てしまい、

コツコツと歩き続けたカメが何時しか、ウサギを追い抜いてしまって頂上へ到着するという物語だ。

 

この昔話が教えてくれる事は

『才能があったとしても、おごってはいけない。』

『才能がなくても、コツコツやれば小さな花でも開く。』事だと思う。

 

同級生とやり取りをしていて

「アンタの才能はすごかったし、世の中に才能がある人はいるんだわ!!」と話したら

 

同級生は「別にいいじゃん。 丹下はメガネを作る事が出来るのだから。」と言った。

才能ある人から言われ少し嬉しかった。

 

話は少し逸れて、僕はウサギとカメの話は山の頂上のゴールで終わりだと思っていたが

まだ続きがある事を最近知った。

敗れたウサギの物語が続く。

 

負けたウサギにハッピーエンドがきて良かった。

 

さぁ月曜日からまた作ろう。

 

 

 

 

 

2020年10月3日 11:43 PM  |  カテゴリー:メガネについて思う事,私事

顔は年と共に変化していく。

 

言葉通り老けていく人もいれば、

年を重ねていくと、若い頃はブサイクでも

シワや佇まいに味が出てきて、紳士や淑女の顔になっていく人もいる。

 

内面から出てくる要素が大きくあるのだと思う。

 

男の場合は、

失敗を含めて色んな経験をしている事、ひけらかす事無く勉強している事が大切なのだと思う。

そんな変化していく『顔』に掛けられるメガネを製作しているのは、面白い事だ。

 

僕は今年四十を迎える。いよいよおっさんの仲間入りだ。

話は少しそれて、ずっと憧れていた服がある。

 

シングルのレザーのライダースだ。

まぁ要は『革ジャン』だ。

 

ずっと僕にはまだ早いと思っていたが、四十を迎えるので思い切って購入した。

着込んでいくと年と共に味が出てきてくるのが『革ジャン』だ。

これから沢山着てやろうと思う。

 

革ジャンと共に僕もいい味のオッサンになれたらと思う。

そんな紳士、淑女の為にもメガネを作るよ。

 

さぁ 明日もやろう。

2020年9月9日 10:41 PM  |  カテゴリー:メガネについて思う事,私事

前回の続きです~。

 

スルタンであった『アル=カーミル』はフリードリヒのアラビア語で書かれた手紙の内容に

大いに感動し呼応した。

「フリードリヒよ。そなたの意向は理解した!!我らイスラームは一旦退こう。」と。

 

実際にフードリヒ2世の十字軍がエルサレムへ進軍した際、

八百長のような、なんちゃっての戦いだけして、イスラームは退き、お互いに血が流れる事は殆ど無かった。

 

そして外交交渉により、ある程度の目的は達成された。

 

十字軍が進駐している間は、イスラーム側が気を使ってモスクから礼拝の為に鳴らす鐘を止めていた。

鐘が鳴らされていない事に気付いたフリードリヒ2世は

「遠慮せずイスラームの礼拝の鐘は鳴らしてください。」と伝え、

そこから再び鐘が鳴り始めたと記録に残っている。

 

しかしエルサレム奪還が八百長である事は教皇の知る所となり、怒り狂った教皇は

フリードリヒ2世をキリスト教から破門してしまい、この十字軍自体が無かった事にされてしまう。

 

歴史上で領土を大きくした君主や、国を豊かにした王様は『大帝』、『名君』と呼ばれるが

フリードリヒ2世にその呼称は使われない。

 

まぁそうだろう。

しかし僕は冷徹ではない人間味を持ったこの王様が大好きだ。

 

彼のお墓は今でもシチリア島にあって、墓標には

ラテン語とアラビア語の二か国語で書かれているらしい。

死後もイタリア人、アラブ人の双方から慕われていたんだなと思う。

 

 

そんな時代に起こった『メガネ』の事も書こうと思う。

このイタリアをもう少し北側の町の『ヴェネチア』に目を移して、

とあるガラス工房の話。

 

そこには老眼の親方と、弟子がいた。

 

弟子が高温に熱せられたガラスを筒から「プゥーー!!」と空気を送ると膨らみ

それをピカピカに研磨して、枠にはめ込んで覗き込んでみると

 

「あらまー!! 親方!! 文字が大きく見えまっせっ!!

これなら親方も読めますね!!」

となったのが『メガネ』の始まりと言われている。

 

 

この実用性に長けた『メガネ』だが、作られた当初は教会から『悪魔の道具』とされ迫害されている。

もう少し後で活版印刷が発明されて『本』が普及され始めた頃から『メガネ』も市民権を得るようになる。

 

メガネ職人の僕から見たらイタリアは面白い。

いつかシチリア島で取り扱ってもらえるお店が出来たらなぁと思う。

 

それまでコツコツ作るよ。

 

 

2020年8月29日 9:24 AM  |  カテゴリー:メガネについて思う事,その他