世界の歴史。3 メガネ編

番外編『メガネの歴史』の続きです~。

前回のブログはこちら

 

教皇 「ザビエル殿 ジパングは遠いぞ!それでも行ってくれるか?」

 

ザビエル 「はい。 布教して参ります。」

 

教皇 「では頼んだぞ!」

 

ザビエル 「ところで教皇様 『メガネ』なる道具を一緒に持って行っても宜しいですか?」

 

教皇 「あぁ 持っていけ。」

 

 

そして船で、どんぶらこどんぶらこと数年揺られて

1549年、戦国時代ど真ん中の『日本』に到着した。

 

 

そしてザビエルは山口県の大名の大内氏へ伺った際に『メガネ』を献上した。

 

 

初めて『メガネ』掛けた大内氏。

 

「ぬぅおおおお!!! 見えるっ!!! みえるぞぉぉぉぉっ!!!!」

 

とまでは書いてないが

これが『日本人』と『メガネ』が初めて出会った瞬間だと文献には記載されている。

 

 

そこから時間は流れ、470年後の鯖江の工房。

自分の仕事が、遠い昔の国でおこった『宗教改革』と繋がるとは思わなかった。

 

 

あぁ浪漫があるなと思った。

僕の仕事が将来の誰かに繋がるのだろうか。

 

 

さぁ また作業に戻るよ。

 

2019年2月21日 10:40 PM  |  カテゴリー:メガネについて思う事,私事

前回『世界史』の事を書きましたが、

そのブログはこちら

 

番外編として『メガネの歴史』も書いておこうと思います。

 

ちと寸劇風です~。

 

約500年前、サンピエトロ大聖堂の前で

カトリック教会のローマ教皇のレオ10世は呟いていた。

 

レオ10世 「聖ペテロ様のお墓の上に建てたこの聖堂も、だいぶ痛んできたな。修復したいがお金がない!!」

 

部下A 「そうですね。 お金がございません。 教皇様如何なさいますか?」

 

レオ10世 「ん~ 困ったな。 罪を許し、天国へ導かれる『贖宥状(免罪符)』を販売して資金にするか!!」

 

 

そして贖宥状は神聖ローマ帝国で販売され始めた。

しかし現在のドイツ地方の神学者のマルティン・ルター教授がこれに異を唱えた。

 

 

部下A 「教皇様! 大変です! ルターという者が贖宥状はアカン!!と言って

大学内で叫んでおります!!」

 

レオ10世 「やめさせろや! なんとかせんか!!」

 

部下A 「教皇様、出来ません!!さらにルターの書いた本が帝国内に広まって、

我々カトリックに抵抗する者、プロテスタントとして広まってきております!!」

 

 

そして少し時間は流れ、カトリック教会の中から

イグナティウス・ロヨラという人が『イエズス会』を結成し、教皇にこう伝えた。

 

 

ロヨラ 「帝国やスイス、フランスにプロテスタントが増えてきております。

我がカトリックの教えををもっと広める為に、世界に出ていきます!!

そして遠い東に『ジパング』という島国がございます。」

 

教皇 「おぉ! ジパングか。 んで誰が行ってくれるのじゃ?」

 

ロヨラ 「フランシスコ・ザビエル君。 彼に行って貰おうと思います。」

 

続く。

 

 

2019年2月20日 9:10 PM  |  カテゴリー:メガネについて思う事,私事

今日は僕の妄想話です。

 

仕事柄、『マンセルの色立体』を見たりする事がある。

 

これは人間が感じとれる『色』を

『色あい』、『鮮やかさ』、『明るさ』の3要素を立体的に表現したものだ。

 

 

 

 

これを眺めてると、いつも「未完成の建築物の様だな。」と思う。

そして『バベルの塔』の様だとも思った。

 

『バベルの塔』の話は、

天まで届く塔を建てようとした時に、神の怒りを買い

それまで1つの言語を話していた人類は、言葉をバラバラにさせられ、塔の建設を断念し

通じる言葉があった者同士が集まり、世界に散っていく。

 

というような内容だったと思う。

 

そして思考は巡って

塔を、言語がバラバラにされる前に人は『色覚』に残したかったのだろうか

と、ふと考えたりした。

 

以前、『日曜美術館』で放送された

ブリューゲルの描いた『バベルの塔』を観て、

 

「ん~。 やっぱなんか似てるな~。」

と思った。

 

まぁいいや。

さぁまた作業に戻るよ。

2019年2月18日 9:08 PM  |  カテゴリー:私事