天人五衰。

三島由紀夫の最後の小説『豊饒の海 (第四巻・天人五衰)』を読み終えました。

 

第一巻の『春の雪』と、第二巻の『奔馬』

第参巻の『暁の寺』を読んだ感想はこちら。

 

全巻を通し輪廻を見届けてきて80歳を迎える『本多繁邦』と、

4度目の転生を迎えたと思われる青年『安永透』とが出逢い、養子として迎え入れ

2人は一緒に暮らし始めるも、次第に透の悪辣な性格からこれまで輪廻転生を繰り返してきた『魂(アートマン)』とは

全く違う魂だと本多は気付き、贋者とされた透は破滅へ向かっていきます。

首尾の間、互いの内面を口語体で描かれており、読み易かったと思います。

 

物語の終盤に本多が出会うはずだった清顕の転生の『魂(アートマン)』に想いを馳せる文章があり、

 

【転生の出会いは星辰の運行の中で僅かな誤差を生じ、

広大な宇宙の中で別々の方角へ導かせ、

本多が生涯を費やした3つの世代の転身が、本多の生の運行に添うて煌めいた後、

忽ち光芒をひいて、本多の知らぬ天空の1角へ飛び去った。

その何百番目、何万回目、何億回目かの転身に本多はどこかで再会するかもしれない。】

という文は印象的で何度か読み返しました。

 

そして死期を迎える本多が

 

 

第一巻で出家した綾倉聡子へ会いに行き。

 

これまでの清顕の輪廻の経緯を伝えますが、

無常で以外な言葉が返ってきます。

 

その返答から

1巻の情熱的な清顕と聡子の悲恋は何だったのか?

2巻の青年の絶対的な忠義は?

3巻の若さへの渇望は?

そして僕が第1巻を読み始めた認識は真実だったのか?と思わされてしまいました。

 

世界は『物質』によって組成されている『唯物論』ではなく

『認識』によって組成されている『唯識論』に最後は収束された小説でした。

 

父上は「この小説が最も美しい文学だ。」と言って渡してくれました。

僕も美しい文学だと思います。

 

そしてこの物語には『色』が走っている様に感じます。

 

『坂本龍一』の『forbidden colors』が合うと思いますので

最後の曲として添えておきます。

 

 

2020年11月20日 7:22 PM  |  カテゴリー:その他

三島由紀夫の『暁の寺(豊饒の海・第三巻)』を読み終えました。

第一巻の『春の雪』と、第二巻の『奔馬』を読んだ感想はこちら。

 

 

『暁の寺』の構成は大きく2部構成になっていて

1部は、『松枝清顕』、『飯沼勲』の輪廻転生を見続け、50代になった『本多』が赴任先のタイで、

再び転生をしてきた若き王女『ジン・ジャン』と出逢った後、

旅しながら仏教の世界に深く思惟してゆく物語。

 

2部は、生まれかわりを繰り返し若さを保ち、美貌も長けた『ジン・ジャン』に、

富も名声も得た『本多』は惹かれて、我が物にしたいと願いながらも、

自身の『老い』、相手の『若さ』の前に葛藤する物語だと思います。

 

この物語の1部がとにかく難解でした。

 

インドのサンスクリット語である『ヴェーダ』、『ウパニシャット哲学』(←仏教の生まれる際に根本となる書物)

などの言葉を用いて展開されていくので、

僕は、その言葉や哲学についていけずに80ページまでに読み進めた所で、黒い文字を追いかけていくだけの状態になってしまいました。

 

読み進める鍵を与えてくれたのは、これまで続けてきた『世界史』の勉強でした。

 

仏教の成り立ちや、どういった思想を持っているのか。

仏画で菩薩が虚ろな目をしている意味。どうやって日本へ伝来してきたのか。

 

例えば、インドの仏教がある時点から、ヒンドゥー教と交わりを始めて

1つはチベットへ渡り、ダライ・ラマに代表される『チベット仏教』となり

その流れは東の『唐』へ、さらに東へ伝わり、空海が日本へ伝え『真言宗』となり、

壮大な長い旅があった事を知った。

 

知識を蓄えて、もう一度最初から読み始めました。

充全では無いものの、理解できる部分が大きく増えて、文字に色彩が帯び始めました。

 

仏教の目指す物の1つに『梵我一如(ぼんがいちじょ)』という言葉があるかもしれません。

『梵=宇宙全体の魂の源泉のような物』へ『我=悟った自身の魂』が『一如=帰っていく』事。

とは反対に悟れなかった魂は再び輪廻を繰り返し、転生をする。

 

非常に難解な言葉で綴られていますが、三島由紀夫はこの『輪廻転生』を正確に描きたかったのだと思います。

 

第2部は崇高世界から現実世界に戻ってきて

そして『老いていく』事の表現が多用されていました。

 

富も名声も得て紳士であった『本多』が、歳を重ねて得た権力ではどうにもならず

惹かれてしまった『ジン・ジャン』の裸を見たいが為に、部屋の穴から覗きみようとする変態性。

正義感をもった青年、紳士であった本多が、どうしようもなく崩れていく様が描かれていました。

 

僕が読み進めたのは、父上が「これが最も美しい文学だ。」と言って『春の雪』を渡してくれたからです。

けども第3巻には『美しさ』は無く、

 

『梵我一如』よりも、常に若さを保ち続ける『輪廻転生』を望んでいるような

三島由紀夫の内面の『悲哀』が描かれ、老いていく虚しさを吐露した

静かな白と青の世界だったと思います。

 

僕は三島由紀夫が『豊饒の海』を執筆していた年齢と重なっていきます。

その事も思うと、すこし感慨に耽ってしまいました。

 

 

 

 

 

 

2020年10月13日 10:41 PM  |  カテゴリー:その他

小中学校の同級生がSNS上で突然連絡をくれた。

同級生とは中学卒業以来なので20数年ぶりにやり取りをした。

 

同級生は学業優秀で何をしても成績がよかった。

中でも美術の授業で、動物の『リス』を躍動感のある毛まで彫り上げてるのを、

目の当たりにした瞬間「おぉっ!! たまげたっ!!」と鼻血が出そうになったのを覚えている。

 

神さまから非凡な才能を与えられた人はいる。

これを初めて小学生の僕は認識したかもしれない。

 

だが才能も大切かもしれないが、最近『続ける』事の重要性を思う。

才能が無くても、続けていく事の重要性。

 

にほん昔話の『うさぎとカメ』の話を連想する。

 

この物語は、うさぎとカメが山の頂上を目指して競争をして

圧倒的に足が速かったうさぎが「カメとの勝負なんぞ余裕。」となって途中で寝てしまい、

コツコツと歩き続けたカメが何時しか、ウサギを追い抜いてしまって頂上へ到着するという物語だ。

 

この昔話が教えてくれる事は

『才能があったとしても、おごってはいけない。』

『才能がなくても、コツコツやれば小さな花でも開く。』事だと思う。

 

同級生とやり取りをしていて

「アンタの才能はすごかったし、世の中に才能がある人はいるんだわ!!」と話したら

 

同級生は「別にいいじゃん。 丹下はメガネを作る事が出来るのだから。」と言った。

才能ある人から言われ少し嬉しかった。

 

話は少し逸れて、僕はウサギとカメの話は山の頂上のゴールで終わりだと思っていたが

まだ続きがある事を最近知った。

敗れたウサギの物語が続く。

 

負けたウサギにハッピーエンドがきて良かった。

 

さぁ月曜日からまた作ろう。

 

 

 

 

 

2020年10月3日 11:43 PM  |  カテゴリー:メガネについて思う事,私事