相変わらず『世界史』を時間がある時に学んでいる。
ロシアのピョートル大帝、イタリアのフリードリヒ2世、タイのチュラロンコン大王がとても好きだ。
ピョートル大帝の事は以前こちらで書いたので
今回は約800年前の13世紀にキリスト教が聖地を巡って十字軍を派遣し
イスラム教と対立していた時代に
イタリアのシチリア島に生まれたキリスト教徒の王『フリードリヒ2世』の事を
後半で『メガネ』も絡めて書こうと思う。
フリードリヒが生まれる前の11世紀までのシチリア島は
イスラム教徒の島でアラブ人が多く住んでおり、『学問』、『科学』、『医療』で進んでいた。
そこに北方からノルマン人が流入しシチリアを支配した。
だがアラブ人達の先進的な能力を目にして、彼らから学び、そして重用し
十字軍が始まるまでは共存していた。
そんな中、シチリア島にキリスト教徒の王として 『フリードリヒ2世』が生まれた。
僕はこんなスットンキョウな絵を描いたが、実際に残っている肖像画もスットンキョウなのだ。
けども彼が行った事はカッコいい。
他のヨーロッパ諸国と違い、アラブ人の家庭教師、侍従がいる中で育った
フリードリヒ2世はイタリアのラテン語以外にアラビア語など習得するなど
イスラム教徒に対して敬意があった。
だがこの頃のヨーロッパではイスラム教から聖地エルサレムを奪還しようとする
『十字軍』で激しく対立していた。
そこにローマ教皇からフリードリヒ2世へ
第5回十字軍へ向かうように指令が下される。
イスラム教徒への敬意があったフリードリヒ2世は悩み
当時エルサレムを支配していた『スルタン(指導者)』へアラビア語の文章で手紙を送る。
「私はイスラム教徒達と争いたくありません。しかし教皇の命令は絶対で背く事は出来ません。
エルサレムに入城したとしてもイスラム教徒を襲ったり殺戮する事は決して行わないと約束します。
そしてイスラム教の信仰は保証します。
だから一旦退いてください。」と。
つづく。