前回の続きです~。
スルタンであった『アル=カーミル』はフリードリヒのアラビア語で書かれた手紙の内容に
大いに感動し呼応した。
「フリードリヒよ。そなたの意向は理解した!!我らイスラームは一旦退こう。」と。
実際にフードリヒ2世の十字軍がエルサレムへ進軍した際、
八百長のような、なんちゃっての戦いだけして、イスラームは退き、お互いに血が流れる事は殆ど無かった。
そして外交交渉により、ある程度の目的は達成された。
十字軍が進駐している間は、イスラーム側が気を使ってモスクから礼拝の為に鳴らす鐘を止めていた。
鐘が鳴らされていない事に気付いたフリードリヒ2世は
「遠慮せずイスラームの礼拝の鐘は鳴らしてください。」と伝え、
そこから再び鐘が鳴り始めたと記録に残っている。
しかしエルサレム奪還が八百長である事は教皇の知る所となり、怒り狂った教皇は
フリードリヒ2世をキリスト教から破門してしまい、この十字軍自体が無かった事にされてしまう。
歴史上で領土を大きくした君主や、国を豊かにした王様は『大帝』、『名君』と呼ばれるが
フリードリヒ2世にその呼称は使われない。
まぁそうだろう。
しかし僕は冷徹ではない人間味を持ったこの王様が大好きだ。
彼のお墓は今でもシチリア島にあって、墓標には
ラテン語とアラビア語の二か国語で書かれているらしい。
死後もイタリア人、アラブ人の双方から慕われていたんだなと思う。
そんな時代に起こった『メガネ』の事も書こうと思う。
このイタリアをもう少し北側の町の『ヴェネチア』に目を移して、
とあるガラス工房の話。
そこには老眼の親方と、弟子がいた。
弟子が高温に熱せられたガラスを筒から「プゥーー!!」と空気を送ると膨らみ
それをピカピカに研磨して、枠にはめ込んで覗き込んでみると
「あらまー!! 親方!! 文字が大きく見えまっせっ!!
これなら親方も読めますね!!」
この実用性に長けた『メガネ』だが、作られた当初は教会から『悪魔の道具』とされ迫害されている。
もう少し後で活版印刷が発明されて『本』が普及され始めた頃から『メガネ』も市民権を得るようになる。
メガネ職人の僕から見たらイタリアは面白い。
いつかシチリア島で取り扱ってもらえるお店が出来たらなぁと思う。
それまでコツコツ作るよ。