『MEISTERKOLLEKTION BY TANGE』 転。

話は前枠からテンプルの話へ移っていきます。

 

去年の夏はうだる暑さが一段と厳しい物だった。

studioskyrocketのテンプルを加工してくれていた職人の『オプトピア大越』さんが倒れられた事を聞いた。

そしてコロナの事、高齢という事もあり廃業される事を知った。

 

鯖江の産業の1つの問題は『高齢化』がある。

大越さんも今後ずっとは出来ない事は認識していたが、腕が良く毎回テンプルの加工をお願いしていた。

 

それが今来てしまったかと思った。

 

大越さんは無事で大きな支障もなかったので

studioskyrocketを快く加工してくれたお礼をしにいった。

 

その後の僕には

『改めて新規加工先を探す』、『大越さんが加工してくれた部分を自身で出来るようになる』

の2択を選ばなければならなかった。

 

信頼の置ける職人さんでなければ加工を出したくない事、

また今後5年、10年後の産業の構造変化を考え、僕は後者を選択することにした。

 

この時に僕は父上に相談をした。

父上はスカイロケットでなく

宇宙へ飛んでく方の『ロケット』の製作に携わる立場の人だったので

『どこまでやるのか、喫緊の課題はなんなのか』を的確な助言で得られた。

 

 

そしてテンプル加工の機械を入れる為の工房の改装が始まった。

搬入されていく機械を入れる為に開けられた外を眺め、

「あ~僕は本当に出来るのだろうか」と不安しかなかった。

 

案の定、加工が始まっても上手くはいかなかった。

機械に取り付けた型がもげる、切削途中でテンプルが吹っ飛んだりした。

原因を考え、分からない時は大越さんに聞きに行ったり、他の職人さんにも聞きに行った。

機械のコンディションを上げる為に治具なども作り直した。

 

譲って貰った細かな治具達は大いに役に立った。

 

 

何度も改善、修正しながら

 

 

ようやく綺麗なテンプルを作れるようになった。

大越さんに見せに行った。

「上手く出来てる。これでいいよ。」と言ってくれた。

 

 

その時には冬の峠は越えようとしていた。

 

この頃から完成の姿が見え始めた。

 

続く。

いよいよ製作が動き始めました。

 

 

 

今回『MOD.1932』を作るにあたり

久利さんから様々なニュアンス、イメージを提示されました。

 

それは建築の『ゴシック建築』の尖塔で例えられたり、

音楽で言えば下記の音楽を提示されながら

『渋いけども、艶っぽい曲線のメガネ』などイメージを伝えられました。

 

僕からは

「綺麗な線で無くて大丈夫で、粗くてもラフでも良いから

作りたいイメージを描いてください。」とお願いをしました。

 

上がってきた『絵』を基礎にして、提示された物達と共に

サンプルへ起こしていく作業が始まりました。

感覚としては

5線譜の中で情熱が迸った久利さんの『主旋律』に対して、僕が『和音』を置いていき

どのように調和のとれた音楽(メガネ)を創っていくのか。という物に近かったかもしれません。

 

お互いが不安と納得のいく物を作ろうとする中、メッセージのやり取りは多岐にわたり、

レンズの玉型、線の太さ、智の幅、鼻パットの置く位置など決めていきました。

 

ようやく前枠のサンプルが出来上がった物を店舗へ郵送し、

確認してもらいながら、さらにカットをもう少し多く取ったり完成度上げていきました。

 

やりとりの中にはデザインを強調させたい久利さんに対し

品質の維持の観点から諫言を申す事もありました。

 

お互いの妥決点を見定めて、フロントの形状が決まりました。

 

ただ十数年メガネを作ってきましたが

今だに『メガネ』という物は完成してみないと本当の姿が見えてこないというのが本音です。

 

前枠にテンプルが組み合わさり、前傾角がついてから全体のバランス、

色味、雰囲気が判断出来る物だと思っています。

 

そしてこのテンプルの製作へ話は移っていきます。

 

つづく。

来年2023年にマイスター大学堂様が90周年を迎えられます。

90周年の記念モデル『MOD.1932』の製作を手掛けさせて頂きました。

 

このモデルを作る事は本当に苦しかったです。

出荷し終わった後、マイスター大学堂様から「すごく良い物です。気に入りました。」と連絡が入り

このメガネへの想いがあったのか、頭を垂れて涙が出そうになりました。

 

これから『MOD.1932』の作り始めた経緯、過程、苦悩、思いの丈を書いたろと思います。

きっかけは2020年、木漏れ陽さえ眩しいと感じる7月の半ば、15時の休憩中

マイスター大学堂の久利さんから電話がかかってきました。

 

最初は「MEGATON!はもう作らないのですか?」という話だったと思います。

それがコロナの事、色々な話をしていくうちに

「そういえば2年後90周年だから。」という話となり、何か製作出来たらいいねと会話をしたと思います。

 

コロナ禍もあり、メガネ産業は打撃を受け

これまでの経験を生かした『何か』を始めなければと思っていました。

 

ただ、この段階ではまだ個人同士の願望のやり取りだったので、

「マイスター大学堂として製作を進めるのか確認をしてから連絡します。」

と話を終えました。

 

その数時間後、久利さんから

「やりますか。 という事になっておりまする。」とメッセージが届いた。

 

僕は「おお〜。 やるのか!!」と思いながら
この企画は動き始めました。

 

続く。